2014年12月11日木曜日

"六条院全体”アニメーション

121114"六条院全体”アニメーション
画像をクリックしてください。(2分55秒)

2014年12月9日火曜日

"六条院pro-6"アニメーション

1209"六条院pro-6"アニメーション

画像をクリックしてください。(2分17秒)

2014年12月8日月曜日

"BAR Genji"開店です。

1208"BAR Genji"開店です。

レストランの開店は残念ながら、まだずっと先になるとおもいます。




2014年12月5日金曜日

”寝殿”番外編

”寝殿”の番外編です。
まずは、夜景から・・
テーブル・椅子や照明器具はは”なぎ”様のサイトを参考にオリジナルなものを作成したいと考えております。とりあえず、配置のシミュレーションです。




2014年9月30日火曜日

0930修正箇所

0930修正箇所
(広島大学大学院 三浦正幸教授からアドバイスをいただきました。ありがとうございました。)

■寝殿本体柱上の”台輪”をなくす。
■寝殿本体”大斗肘木”は”舟肘木”のみに。
■”繋ぎ虹梁”は廂屋・向拝ともにいらない。
■向拝正面”虹梁”を頭貫に替える。
■縁床束を寝殿本体円柱より小さい”円柱”に替える。
■妻面の前方間妻戸(板戸)を設置。

さらに現時点での疑問箇所
□棟鬼板に鳥衾は必要か?”経の巻”の鬼瓦は?
□床束石はあったのか。掘立てか?

なお、”御簾”の画像は”水晶語り。”さんのブログから借用させていただきました。
ありがとうございました。

2014年6月7日土曜日

0607 夏の町


■夏の町(源氏物語六条院図)

 六条院の東北(丑寅)にある花散里の住んだ住居。「夏住居」「東 大殿」「丑寅の町」ともいう。涼しげな泉があり、庭には、花橘、撫子などが植えられ、東側には、五月の競馬(くらべうま)のための馬場殿(ばばどの)があり、馬場は春の町まで続いている。

(『源氏物語必携事典』角川書店、1998年、164項より抜粋)

■六条院の前裁 夏の町
卯の花(うのはな)
橘(花橘)(はなたちばな)
撫子(なでしこ)
薔薇(そうび)
菖蒲(そうぶ)
呉竹(くれたけ)
檀(まゆみ)


(秋山 虔、小町谷照彦 編『源氏物語図典』小学館、2005、204項~205項)



2014年6月6日金曜日

0606 寝殿造概説と六条院


「寝殿造概説」

 平安時代の貴族邸宅を寝殿造と呼ぶが、後代の書院造と合わせて伝統的日本住宅の二大様式として知られており、この命名は江戸時代末期の国学者沢田名垂の「家屋雑考」に拠っている。床・棚・書院」などで構成される書院造との大きな相違は、固定的間仕切りが少なく開放的で、室内設備もなく、玄関や会所(応接間)などの接客空間が独立していないことである、
 
  敷地は、原則として公卿以上が一町(120m四方)で、14,400平方メートル、約4364坪)で、四、五位の殿上人は二分の一町、六位以下は四分の一町と決められていたが、寝殿造という場合は、一町を基本として考えられている。しかし、四町からなる冷泉院(後院)や高陽院(藤原頼通邸)、南北二町からなる東三条殿などもあり、『源氏物語』の六条院も、四町からなっていた。


 敷地の周囲は、築地(ついじ)と呼ぶ土塀をめぐらし、東西あるいは北に正門を設ける。敷地の南北に通る中心軸上に主屋となる東西棟の寝殿(正殿の意)を南向きに建て、その東西にあるいは北に対(たい)と呼ぶ構造的には同じ副屋を設けて、左右対称に配置する。東西の対は南北線、北の対は東西棟になる。寝殿も東西の対も中央部を母屋、その周囲を(庇)といい、さらにその周囲に簀子(すのこ)とよぶ濡れ縁がある。建物の大きさは、「五間四面」の寝殿というように間面(けんめん)表記で表す。これは、母屋の桁行が五間で(梁間は普通二間になるので特にいわない)、その周囲に一間の廂が取り巻き、南正面から見れば七間に見えるものをいう。一間の柱間隔は一定しないが、約3メートルぐらいらしい。


 寝殿と東西の対の間は、二帖の渡殿(わたりどの)でつなぎ、南側が吹き放しの透渡殿(すきわたどの、北側が壁で覆った壁渡殿になり、ここは居住空間のにもなる。東西の対から南に中門廊を寝殿南庭の池あたりまで延ばし、そこが釣殿(つりどの)になる。中門廊の中間に中門を設け、その外側あたりに車宿(くるまやど)・随身所(ずいしんどころ)・侍所などを置く。

 敷地内には、このほかに御堂を造ったり、が置かれたりし、敷地の北側には雑舎(ぞうしゃ)(下屋)が設けられる。南庭には、寝殿側に砂子(白砂)を敷き、池のあたりに築山が設けられたりする。池には、反り橋(そりばし)を渡して築山にした島が作られ、泉や邸外からの導水路より引いた遣水(やりみず)と呼ぶ水路を寝殿の脇から引く。



「六条院平面図」

  光源氏三十五歳の時に、六条御息所の故地を取り入れて完成させたのが六条院で、その様子は「少女」巻で語られている。四町からなり、南東が春の町で紫の上、南西が秋の町で秋好中宮、北東が夏の町で花散里、北西が冬の町で明石の君が住み、それぞれの町にふさわしい四季の植物が前栽に植えられた。春の町の寝殿は、明石の女御が里下がりした時に使用され、また、「若菜上」巻で光源氏に降嫁した女三の宮もこの町の正妻として住むことになったので、紫の上は東の対に移り、寝殿は東西に仕切られて使用された。光源氏の幼女となった玉*は、夏の町の西の対に住むことになった。

 六条院の推定図は各種作製されているが、ここには池説と玉上説を掲げた。大きな相違としては、全体的には各町の区切り方や門の配置、東側の馬場馬場殿の取り方がある。各町では、春の町の西二の対の位置や遣水の引き方、夏の町の遣水の引き方と池の配置、および池説の曹司町の所在などがある。また寝殿の大きさと塗籠の存在にも相違がある。

(秋山 、小町谷照彦 編『源氏物語図典』小学館、200526項)


2014年5月12日月曜日

0512 六条院スライドショー

0512 六条院スライドショー

(画像をクリックしてください;始動まで少し時間がかかります))


アルバムはこちらをクリックしてください



     六条院の想定敷地

立地のモデルが源融河原院

約252m四方の敷地

京都市下京区木屋町通り五条下ル




より大きな地図で 極楽寺 を表示

2014年4月25日金曜日

0425 六条院全体

六条院全体042514
■桧皮葺屋根のテクスチャーをつけました。(画像をクリックすれば拡大します。)


京極大路側からの姿図



南東からの鳥瞰


万里(まで)小路から東山を望む



築山から寝殿の夜景:東南の町(春の御殿)

2014年4月24日木曜日

0424 六条院全体像

0424 六条院全体像





小説から生まれた建築か・・

■日本建築の特徴



1.骨組みの文化と壁の文化日本人は水平に広がっていく空間を求めているのに対して、壁の文化をもった人たちは、上のほうへ広がっていく空間を求めている。
大陸の影響の濃い禅宗建築以外天井に空を描くことはない。

2.日本建築の色付け数寄屋風の書院の素木の柱に白い漆喰壁の取り合わせや、茶室の自然のままの柱に渋い色の土壁の調和は、実は大正年代の末か昭和に入ってから一般化した傾向で、早くてもせいぜい明治からなのである。とくに住宅や茶室といった数寄屋風の建築についてもっているイメ-ジは、たかだか50年ほどの間に作られてきたものなのである。

3.柱礎石の上に柱を立てる方法が一般的になるのは平安時代のことである
平安時代も半ばを過ぎると、丸柱が次第に姿を消し、中世以降の住宅では角柱が普通になった。

5.軒と縁軒下は、日本建築独特の空間である。
家の中とも外ともいえないこの場所がもっていた性格について考え、現代の住宅にもこのような空間を再現したいものである。

6.床履物を脱いで床の上に上がる生活習慣をもっている人々は、世界中探してもそう多くはない。
縄文時代のことは分からないが、弥生時代の住居に、床があったことは間違いない。床は初め板敷きといわれていた。
は、初め置き畳の形式であった。畳の寸法を基準にした柱の間隔は、室町時代の七尺(2.12M)から次第に小さくなり、江戸時代の初めには京都では六尺五寸江戸などでは六尺が普通になった。京間の設計法は、六尺三寸X三尺一寸五分の畳を敷くことを想定して部屋の大きさを決め、その外側に柱を立てる。


7.天井中国では天井のことを承塵という。寝殿造りには、天井はなかった
天井のすぐ下のところに柱を見せない壁がある。この幅の狭い壁を蟻壁と呼んでいる。蟻壁があるので、天井が浮いて見える。天井はある程度はなれて見るだけなのだから、床に贅沢をするほうが合理的である。

8.壁日本の住宅では壁が大変少ない。室内では、内法の上の小壁の部分を白土塗りとするのが普通の手法であった。

9.扉外国ではドアは内開きが普通である。日本ではほとんど外開きである。

10.戸障子は日本人の発明と言ってよいだろう。

11.窓壁の中に穴をあけたのが窓ならば、伝統的な日本の住宅には、窓はほとんどないことになる。





(シリーズ木の文化④「木の住まい」朝日新聞社、1984年、より抜粋させていただきました)







2014年4月21日月曜日

0421七宝繋ぎの蔀戸

0421七宝(しっぽう)繋ぎの文様の蔀戸をつくってみました。

本来なら蔀戸は”板”を挟むようなのですが、文様の陰影がおもしろいので、格子のデザインも”板”をはずしました。(寒い・・見える・・)






2014年4月18日金曜日

0418 六条院の全体模型

■京都府宇治市に「宇治市源氏物語ミュージアム」というところのサイトを発見しました。

■六条院の全体模型が展示されているようです。
「六条院の模型」で画像検索しました。

全体の画像がいろいろとありますので、また少しづつ外観をメインに作成していくつもりです。


0418寝殿 小屋組

0418寝殿 小屋組









2014年4月9日水曜日

0409 寝殿

 
0409 寝殿

■平面規模:  7間4面+北庇
柱間   :  母屋 2.7m 庇の間 3.6m
床のレベル: 地盤より1.2m。母屋と庇の間は同レベルにしました。
           簀子縁は庇の間より一段低い。

■北の孫庇の間:よくわかりません・・考え中







築山から東釣殿

寝殿から東釣殿夕景